八兆の大部屋

気が向いたら書く

劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライトを見て思った自分の話

あまりにもいざこざがありすぎて、このブログもとっとと閉じてしまおうと思っていたが、思ったところがあったため、、、、

たまには内容のありそうなことを記述してみる。

(この内容は劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライトの感想も考察もほぼありません。ただの自分語りです)

 

自分が何者であるのかというのは思春期に思いつめることの一つであると思う。

しかし自分が何者であるのか、何者でありたいと思うか、そう認めてくれる人間を作るのか、それともいつもまにか自分を認めてくれるような人間を集めるようにするのか。

自分でもよく考えていることだし、よほどの有名人でない限りは死ぬまで付きまとうことだと思う。

ところでではあるが、自分は世間一般でいうアニメが好きなオタクに分類される。実際そういわれるのはなんだか悪い気がしないし、アニメを見ることも往々にして多い。感想も吐くし、よかったシーンは繰り返して見たいし、技だって妄想の中でしょっちゅう放っている。

ただ、言うなれば自分はオタクではない。ということを常々思っている。だから上にはオタクに分類されるとだけ書いた。

「自分はオタクなんだよ~」みたいに言うやつは嫌いだし、「オタクだから○○」のようにカテゴライズされることは間違いなく最悪だ。たぶん自分を決めつけたりしないと生きていけないんだろうな。ほんとに勘弁してほしいとは常々思っている。

「自分はオタク」とかじゃなくて、自分がそれが好きなだけだろうというだけの話なのである。自分からそれを学んで、そう思って、そうして行動した先にそうなるべきなのである。

 

何かのオタクであるならそのジャンルの流行であったり、情報であったりに敏感でなければならないようというところがある。

がしかし、最近は些事にとらわれ、そういったオタク的活動に対して機微を向けられていないのを自覚していたところ、劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライトを見た。

正確には面白いということを聞いて劇場に足を運んだ。

自分はどちらかとしては映画館に行くほうだ(精一杯の譲歩)。

しかもアニメ映画しか見ないような偏屈なほうだ。

というところで、よりにもよって、TV版も見ていないような作品が面白いと豪語されている。でもTV版を見てから劇場に行くような時間も持ち合わせてはいない。

ということで、最寄りのイオンシネマのワンデイパス(約3000円で一日映画見放題になる代物)を使用してほかの作品を見るついでに見ようとした。

したのだが、見れなかった。

というか満席だった。

見ようと思ったのは6月20日だったか。

劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライトの公開日は2021年6月4日だったが、自分が見に行こうと思った時点ではもう一日一回の放映しかやっていなかった。

SNS上ではすごい映画がやっているということだけを知っていたが、こんなにも見る人間が地方にもいるものだと関心したところで結局閃光のハサウェイを代わりに見ていた。面白かったが。

 

なんだか満席ということもあってか、こうなると意地でも見たくなってしまう。

結局、TV版を一気に見て、とんでもない作品があったものだと思って、さっそく時間を見つけて劇場へ足を運んだ。

正直すげえ良かった。双葉が香子をトラックで押し倒すシーンの香子の上気した顔が忘れられないし、ななの戦闘シーンと軍服を着たような姿や、まひるの様々な競技をするシーンなど、こんな作り方してくるアニメがあるのかとあまりにも驚愕したとともに、自分のブシロードのCD売り上げのためのアニメではないかと思っていた愚かさを自戒した。

正直そのくらい良かった。(あと近年のアニメ映画全般バケモンすぎんか)

 

ようやく本題に入れるが、自分は劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライトを絶賛した。

今もSNS上で話があるたびに勝手に共感しているし、ファンイラストも見ては内心にやにやしている(大場なな多すぎないか!?)。

というところで、自分には兄がいる。別にオタクでもない(とかってに自分が思っている)兄がいる。

確かに自分としては彼の存在を尊敬しているし、いろいろと器用なやつなので、嫉妬していたりもする。

その兄が、少女☆歌劇レヴュースタァライトを見ていたのである。

何を言っているのかとも思うが、自分としては驚愕するべきことであり、身内のアニメ好きどもがノーマークである作品を、あの兄が見ているのである。

同好の士とはよくいうものだが、好きなものがある人間は誰かにそれを話したいものである。しかし、まさか兄がそんなに自分があまりにも素晴らしいと感じたものを自分よりも先に知っていて、さらに言えば自分と同じくすごく面白いと思っており、なおかつキリンのスタンプまで「わかります」と投げかけてくるのである。

そんなとき自分は悟ってしまうのである。

自分はオタクではなかったんだと。

確かに自分は劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライトを絶賛しているんだが、別にオタクでもない、普通に日常を置くていると自分が勘違いしていた兄がそういう妙に凝った、あまたさえニッチ(制作者には大変失礼であるが)といえるような位置であり、アニメで今期の覇権は?と問われれば、ダークホースと呼ばれる位置にありそうなアニメを見ていたのである。

そういった自分の得意ジャンルであるにもかかわらず、自分よりも先行して知っていたり、知られていたりするのを見ると、やはり自分がオタクでも何でもない存在であることを自覚してしまう。

そういったものを見ると、何より自分が「アニメが好き」でオタクをしているのではないのではないかと感じてしまう。本当はただアニメが好きという領分を誰かにとられたくなく、「アニメが好き」を演じているにすぎないのかもしれない。(心理学にありましたねこういうの)

だから自分はもしかしたら半分くらいほかの人に好かれている状態の作品があるのが嫌という「嫉妬でオタク」を本心ではしているのかもしれないし、そういった存在を否定できないなら、自分が嫉妬で作品を追っているのを否応なしに認めてしまっているのようなのである。

 

というところで、自分はオタクでは決してないが、オタクにあこがれている人間である。

確かにアニメは好きであるが、アニメを見るのを億劫だと思ったこともあるし、一時期は1.5倍速にしてアニメの内容を補完しようとしていたこともある。

つまりアニメのストーリーの情報だけを喰っていたのである。

あぁなんてみすぼらしいんだ。

 

というところで、ここまでだらだらとほぼ推敲なしに書いてしまったが、自分は今、劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライトが見たい。

近所の映画館さぁもうちょっと頑張ろうよ(現時点で放映している映画館が最寄りにない)。